休みである。

今年は特に序盤から怒涛である。4月も例外なく忙しいが、いい加減庭を整えたりしたくて1日中玄関アプローチや家の状態を整える、準お休みみたいな日。

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私は2017年の秋に、12年暮らした東京を離れ、一歳の息子と実家のある長野市に引越しをした。当時の私としては「都落ちした…」という不本意半分、「もう戦わなくていいんだ😭」という安堵半分な気分で長野市内のマンションに引越しをした。

実家にはさまざまな理由で暮らせなかったが、程よい距離感で両親のサポートも得て、私は仕事と育児の両立を果たした。おかげでキャリアに致命的な大きな穴を開けずに済み、ブランクもなく仕事を進行させることができた。

これは、あのまま東京に住んでいたら無理だったはずなのだ。無理じゃなかった、なんとか形にしていたとしてもおそらく精神を完全に病んでいたことだろう。

今だから言えるのだが、2017年はとにかく体調が悪かった。一時的に良くなったりするのだが、疲れやすい。2016年に出産して半年くらいは私もハイだったので、気力で全てのことを進行できていたのだが、次の年になった頃には個人的には全てがうまくいかなくなっていた。

ただ、対外的には「アイビーさんお仕事順調そう」にしか見えてないはずで、理由としては特にメディア関係のお仕事って大体時間差で成果がやってくるから、過去の頑張りの貯金分でそう見えていたはずだ。

だからこそ、「私、今めちゃくちゃ不調です」って言いにくく、ものすごい負荷がかかっていた

そして、
「新生児さんひと月お預かりで、14万円です」とかいう、

山手線内のちょっと良さげな1LDK並みの家賃の民間保育所料金…!お金がいくらあっても足りないのでは?という漠然とした不安と、「これは本当に必要なコストなのだろうか?」が頭をかすめる。経費にもならないわけだし、なんかすごく癪だった。

「自分が今のライフステージで東京に住み続けるのは、ものすごく最終的に損をするのではないか?」

そんな風に悩んでいるというか疑念のようなものに巻かれている時間が半年ほど続き、「悩んでいる時間は無駄である。だったら何らかの行動に時間を使う」が信条の一つである私は、「もう東京を離れる」という選択を思い切ってしたわけなのだ。あと2017年は実際に東京と長野を新幹線で頻繁に行ったり来たりしていて、「ん?もしかしてこれ、執筆の仕事に関しては打ち合わせもメールで終わることが多いし、完全に東京在住でなくても進行できるのでは?」という確信があったのも大きい。

紆余曲折あり、2017年に東京から長野市街地に引っ越しをし、2020年の夏には直感に導かれて長野の更に山奥の一軒家を内覧。「あ、私ここに住む」と思い、あっという間に契約して好きにリフォームを施して山に住み、5年目になる。

私は度々誤解されるが、決して陽キャではない。真の陽キャはインド占星術などやらないし、法螺貝を吹こうとか思わないし、全唱するのに17分かかるマントラを覚えたりしない。
明るいのは髪色とインテリアと服のチョイスくらいである。

家族や大切な人との生活が、私の人生の中心である。
これが私の軸である。

あのまま2017年、東京にいたらおそらくそこを見失っていた。
結果的に関係者の方にご迷惑もかけただろうし、東京にいたらもっと大きなチャンスがもたらされたかも知れないが、私は当時の自分の決断を今でも本当に誇りに思っているし、その代わりに長野や山での「じっくり、深めて、考えられる」時間がもたらされることの恩恵を享受した。

それはたまたま自身の性質に向いていたことで、誰にでもは当てはまることではないが、もし同じようなことで悩んでいる方がいたら「もっと今のライフステージに合う環境があるかも知れない」と考えてみても良いかも知れない。

人は色々、無責任にいってくる

だからこそ「私は誰にも負けないくらい、たくさん思考した」「あらゆる角度から検証してみた」っていう深めた結果が、自分の決断を強くしてくれるような気がする。