私とあなたと世界。同じスープの中で溶けてる。
2023年8月12日私は日本のお盆の過ごし方をよく知らない。
ナスやきゅうりでみなさんが何かしらをされているのは知ってはいるのだが、具体的に何がされているかを知ったのは比較的ごく最近のはなしである。
なぜ私が日本のお盆の過ごし方をよく知らないのかというと、これは私の家系や育ってきた環境の話につながるのだ。
私は在日韓国人4世である。2019年にこれからの自分と子供の地上での生きやすさを考えて、時間とお金をかけて日本国籍を取得し、日本人となったが、私が在日韓国人であった(ある)という事実はこれから先も何も変わらない。
これについては特に何も隠してはないのだが、度々お話し相手の方が腫れ物に触るような感じだったり、たまにわざわざここを強調して私の紹介を外側にしたりする方もいるのだが、私にとっては自身に付きまとった事実の一つで、なにも特別、良いわけでも悪いわけでもない。「平」である。本来なんの意味も持たない、事実の一つ。
たまたま卵子がある方の肉体に生まれたとか、たまたま地毛が黒髪、とかそれくらいのものなのだが、なぜだか自分の国籍や生まれのことについて外側はほっといてくれないことが多かった。
小学校のころは国籍を理由に色々言われたし、ちょっとインターネットの深いところに行けば口汚い言葉たち。都会では突然おっきい車からヘイトスピーチが流れてくる。
私はそんな中で生きてきた。
自分の親も含め「納得のいく説明」をしてくれる人は誰もいなかったので、答えは自分で見つけるしかないと思った。というか「考えてもしゃーない」という結論にいたり、私は長らくこのアイデンティティ問題に関しては保留という形を取り、仕事に邁進した。
アイビー茜という名前を12年前に名乗り始めて社会とつながってからは、特に気にならなかったのだが、たまに私のことが大好きなのか色々調べ上げてわざわざ私の国籍のことを悪意ある文脈で書く方がいた。まぁ、ちゃんとみてるよ。
私からすると傷つくというよりかは「へぇ〜」なのである。
私はたまたま初期設定で国籍と母語・生まれた土地が違って生まれただけなのだ。
それだけなのに?私は何か悪いことしたのか?恥ずかしい存在なのですか?
昨今、地上波のテレビ制作の会社さんから私の国籍変更についてのエピソードについて取材したいとのご依頼があった。私はインスタに自身の帰化体験を書いている。それを見てご依頼くださったようである。
広く大きく自分のことが報道されることによって得られるメリットとデメリットを考えた時に、今回はデメリットが勝ると判断したので結局お断りはしてしまったのだが、私の経験にはなにかしらの価値があるということは、なんとなく分かってはいるのだ。
分かってはいるが、わざわざ外側に大きく言うことでもないような気もする。というかわざわざ言わなくても良い世界にならないかね?と思う。
本来物事の境界なんて曖昧だし、きのこ研究者のお友達が教えてくれたがきのこもたまたま名前がついてるだけ、カテゴリ分けがあるだけで種と種の境界なんて曖昧らしい。
きのこもそうなのである。きのこと同じ自然物である我々人間だって本来そうだろう。
ただ、高度文明や都市という不自然なものを築いてしまい、その中で摩擦を最小にして生きるには境界が必要になる。ルールやマナーは必要である。けれどルールやマナーで守るべきものが守られず、変な力を持ってしまったりして暴走してしまっているならそんなルールやマナーは必要ない。
私たちはとっくに同じスープの中で溶けていて、続いてる存在なのだ。私とあなたと世界。