秋である。寒い。

今年は10月の最初に薪ストーブの煙突掃除をして、火を焚いた。山の家が迎える季節の中でももっとも家の特性が生きる季節である。

私の住まう地域は徐々に紅葉となっており、赤・橙・黄・茶・時々緑の狂喜乱舞である。

2020年夏、コロナ禍も相成り、長野市内のマンションでステイホームを余儀なくされていた私はふとこう思った。

「信じられないくらい、暑い…」と。

コロナも怖いしコロナ禍による人々の混乱もしんどかったが、なんだか尋常じゃない暑さの方が気になった。私はそもそも全く我慢強くない。特に身体が痛いとか皮膚感覚が気持ち悪いとかそういうのが本当に苦手な人間なのである。そもそもそんなに暑さには弱くない方なのだが、2020年の暑さは「異常だろ」と思った。「涼しいとこってどこだ?」と考えた時に「ここよりも標高の高い場所」という選択肢が浮かび、自動的に山間部が新しい暮らしの候補に浮かんだ。

「この不快(暑さ)をどうにかして消したい」

と本能から思った私の次の行動は我ながら早かった。

まず物件を検索してみた。そしたら「!?」と明らかに琴線に触れる素敵なお家を見つけたのだ。内部の写真もじっくり見るに「めっちゃいい気がする」と思ったので、「見せてもらうだけでも」と思い内見を申し込み。

現地で不動産屋さんと落ち合って、お家の中に入ってみると8月の初旬にも関わらず信じられないくらい涼しかったのだ。しかもエアコンもない。涼しさの源は窓を開け放して入ってくる山の風だけ。信じられないくらい静か。気持ちがいい。

「か、買いたい!!!!この家を!」

そうは思ったのだが、「家を買う」ってそこそこのライフイベントでは??そもそも自分の収入でローンが通るのか?(汗)という懸念がありテラスで佇んでいると不動産屋さんから「ローンはおそらく通ります」とのことで、実際に通った。(その後知ったのですが不動産屋さんは私の仕事を知っており、過去にアプリなどでアイビー茜コンテンツも楽しんでくださっていたとのこと!!ご縁)

その後気がつくと2ヶ月後には家の所有者となり、一心不乱にリフォーム資料を集め、お気に入りのインテリアを集め、見つけてから約半年後にはリフォームが完了した山の家に引っ越した。

光の早さで生活が変わった。

2021年は基本的に育児とインド占星術の勉強とベリーダンスに集中。

2022年は身内の不幸が年の初めにあったのでちょっと本調子とは言えなかったのだが、子供と向き合ったり、インド占星術で鑑定を始めたり、出来る範囲で新しい分野の勉強などを進めてみた。あとめっちゃベリーダンスしてた。

山は、自然の中は否応なしに自分に向き合わなくてはいけない。そのため正直「落ち込む」という回数うが増えたのも事実である。都会の中、街中での外的な交流が少なくなった結果、自分の過去や今まで取り組んできたことを改めて考える時間が多くなったのだ。何となくその時間がしんどい時もあり、

「あー、若い頃は本当に血の気が多かったよな」とか「あの忙しさやチャンスって普通じゃなかったよな」

とか思って、過去に自分が傷つけたり迷惑をかけたであろう人達にお詫びしたい気持ちだったり、まだ何者でもなかった若造の私に可能性を感じてずっと信じてくださった人々へ改めて感謝の念が湧いてきたりで、正直山に来てからの2年間くらいは精神構造がかなりカオスだった。

でも、そんな中ただひたすら山は美しく、楽しい。

春になると、本当に春分ちょうどになると庭にはフキノトウが出てきて天ぷらにして食すし、

夏はテラスでハンモックゆらゆらしながら空見上げるのが楽しいし、

秋は栗の木から栗が落ちてくるのが楽しみだし、

冬は薪ストーブを焚いて読書しながらココア飲むのがいい。

全ての季節が美しいのだ。

もちろん、冬は雪かきが大変!!野生動物だって普通に出るから、いざという時の覚悟だって必要である。薪だって色々コストがかかってて大変なのである。

しかしそういう不便を差し引いてでも、山に住まうメリットの方が大きいと今は感じる。

2020年のあの街中の異常な暑さは、もしかすると私の人間としての冷静な判断力を奪ったのかもしれない。だから突発的に「涼しい場所=標高高い山!!」となってしまったのだろう。

思考は人間を人間たらしめる重要な要素だけど、私は生物としても自然と調和して生きていきたいな。

だってその方が人生が楽しそうだから。不要な争いはもう懲り懲りだよ。

時々煙突から薪ストーブに入ってきてしまう鳥さん