1月某日、初めてのタトゥーを入れた。

大満足である。

百合の花、
孔雀の羽根、
鹿の角、
三日月。

純潔の象徴であり大天使ジブリールの花である白百合。
毒虫を喰らっても生き抜き、ヴィシュヌ神やサラスヴァティ神とも結びつく孔雀。
再生を象徴する鹿の角。
私の使用占術と深く結びつく月。

お打ち合わせは昨年の晩秋のことだったのですが、お打ち合わせの帰りは空に綺麗な三日月が浮かんでました。

この美しいタトゥーを施してくださったのは刺龍堂のRonさんという方なのですが、実は私がまだ大学生の時…15年以上前から存じ上げている方で、今回念願叶って施術をして頂きました。

当時大学で文化人類学のゼミに在籍していた私は、論文などを現代の身体装飾というテーマで書いており、未だに家にタトゥー関連の書籍が沢山ありまして、もちろんRonさん及び刺龍堂のことも存じ上げており、一際異彩を放つ唯一無二の作品やインタビューやご本人のお写真を拝見しながら「いつか私もこんなかっこいい大人になれるだろうか…?」と憧れと尊敬の気持ちを抱いておりました。

当時の私は成人こそはしていたものの、全くもって”大人”ではなかったから、いつか私も本当の大人になりたいと当時強く思った記憶があります。

数年前に身内の死があり、身内の身体を火葬する際に「ああ、いつか私のこの身体もこうやって消えてしまうのならば、ずっと躊躇してたタトゥーも入れたいな」と思うようになり、心が決まったタイミングでご依頼をさせていただきました。

刺青って「変更の利かない究極の絵」という認識を持っていたからこそ、私は結果的に15年という時間をかけてこのモチーフたちに終着したわけなのですが、いろんなことがあった人生だけど、今までの生き様の一部をこのような形で痛みを伴って身体に刻むことによってなにかが大きく終わったような気もするし、始まったような気がします。

あの20歳そこそこの世間知らずだけど、活きだけはやたら良かった(笑)時よりも、私も少しは大人になれたかな?

かけがえのないイニシエーション(通過儀礼)の時間となりました。

また、今回タトゥー入れるにあたり、うちにあるタトゥー関連のマガジンを読み返していたらそこに「自分の身体に責任を持つ」という言葉が出てきまして、ああ、この「自分の身体に責任を持つ」って実はものすごく難しいし人生でやるべきことのほぼ全てじゃんね?ってなんか思っちゃったんですよ。

日本はまだまだ基本的に刺青に対しての偏見も多く、未だに温泉やプールではタトゥー入っている方お断りのところ多いのですが、じゃあこれからどんどん外国の方が旅行に来られたり移住されたりってなったときに、タトゥー入っている方拒否していたらそれこそ経済にも良くないです。今後はタトゥー周りに関することも髪型髪色同様に解釈が変化して行って、前よりも遥かに自由になるだろうな〜と私は予想しています。

ただやっぱり衝突は消えないでしょう。そんな時に、

「なぜ自分はこの見た目を選択しているか?」っていうのをちゃんと自分で語って弁護しなきゃいけないと思うし、相手を説得させるだけの何かを持っていなきゃいけないよねって思うんです。

闇雲に「分かって!!」は暴力的な気もするし、闇雲に「通例だからダメ!!」も暴力的。

あと伝え方やタイミング、シーンもきっと大事ですよね。

冥王星も本格的に水瓶座に移り、時代は否応なしに変わります。変えなくて良いものと変えなくちゃいけないものを適切に見極めて、今後も楽しく生きていきたいものです。